聞いていた現場とは違う現場に回されて…

アラサー主婦、子どもはいません。
主婦にとって、パートを選ぶときに扶養範囲内で働くか、扶養をこえて働くかの境目は重要です。
範囲内で働くならあまり長時間の勤務、残業あり、のところは望ましくなく、扶養をこえてでもたくさん稼ぎたい場合は、こえればこれるほど収入になるので、逆に前述の現場が有り難くなったりします。
私は夫があまり長時間家を空けてほしくないという希望があるのと、夫の仕事がシフト制度で休みが急に決まったり変わったりするので、私もシフト制度で休みの融通がきく、短時間労働の職場を、ハローワークにて探しました。
みつけたのは社会福祉協議会関連の、保育施設にある厨房で、早朝6時から10時までの四時間勤務、週に3~4日のものでした。
「主婦・子育て中の主婦多数勤務中。シフト制度で休みに融通がきくので、気軽に相談できる職場です」とも書いてありましたので、また、保育施設であることから、もし子供ができても相談なんかもできたりするかも、という期待もあり、ここなら無理なく働ける、と、応募しました。
すると採用担当の方から、「この現場より、もっと人手不足で困っている現場があります。特別養護老人ホームの厨房で、この保育施設の厨房に入っている給食会社とおなじ会社ですので、そちらのほうに面接にきてください」と言われました。
特別養護老人ホームも近所ではありますが、自転車で20分はかかり、保育施設よりかなり遠くなるし、保育施設で働きたかったな…という思いがあり、希望とは違う会社から進められたような展開に若干納得いかない思いでしたが、とりあえず面接に行って決めることにしました。
面接では人事担当の方が相手で、衛生を要する現場なので数々の書類の提出、具体的には数々の企業情報守秘義務に同意の書類と、健康診断を受けて、その診断書の提出、自転車通勤であれば自転車で事故を起こした場合の、保険に入ること、その証拠書類も求められました。
その時点でめんどくさくなってきてしまいましたが、最初の作業着、靴代に自腹で3000円かかるのも、パートを探している身としてはなんだかつらく感じました。
それでも働いてもとをとればいいや、と、検便の結果異常がないことが確認されてから、面接から二週間ほど経過してから勤務が始まりましたが、現場のギスギスした雰囲気に息が詰まりそうでした。
早朝本来、300人分の食事の準備を、調理をする責任者さんをのぞくとパートの2人で行っていたのが、一人、今から入ったばかりの自分に、辞めるパートさんたちから引き継がれることになったようでした。
新人で、たった一人でこなせるわけがない量をなぜ…と、辞めるパートさんらに聞くと、「現場の責任者が気難しくて、パートがもたないから一人しか雇えないんだって」と…。
それでも、慣れたらなんとか一人で回せるようになりましたが、何度も責任者さんから作業が遅い、間に合わないと怒鳴られ、辞めようと思いました。
待遇改善を求めたり、もうやめます、とも言いましたが、そのたび新しいパートさんがきては一日や一カ月でやめていくので、結局引っ越しで現場を離れるまで、一人で数年現場を回しました。大変でした。

決断力がない上に、嫌がらせをしてくる上司

決断力のない上司がいて、以前から頼りないなとは思っていました。でも、話は聞いてくれるし、ある程度仕事を任せてくれるので、まあいいかと軽く考えていたのですが…
2か月ほど前に、この上司に呼ばれました。新しいプロジェクトを始めるという内容でした。「(私の直属の)上司は私が説得するから、たたき台を作ってくれ」と言うのです。この新しいプロジェクトは、なかなか良いものでしたので、反対する理由もなく、素直に引き受けました。少し経ってから提案書と言う形で資料を作り、職員の全体会議の時にこれを配り、説明しました。
ところが、この提案してきた上司がどこかソワソワしています。ちょっと不安を感じたので、このプロジェクトは進めて良いのですよね?と確認したところ、びっくりするような返事が返ってきました。それは、私がもっと前に始めていた別のプロジェクトを中止し、その代わりとしてこのプロジェクトをやってほしいという内容でした。
以前からのプロジェクトが失敗しかけていたとか、反対意見が多数あったとか、理由があるならまだ理解できます。しかし、以前からのプロジェクトはうまくいっていましたし、反対意見どころか、賛成意見の方が多数を占めています。なのに、色々理由をつけてこの以前からのプロジェクトをやめてほしいの一点張りなのです。そして、最初に新プロジェクトの話をした時、伝え方が悪かったのか通じていないようだけれど、そういうことだから、と言うのです。
普段は温厚な私も、さすがに頭にきました。実は最初に呼ばれた時、やっぱりこの上司はどこかソワソワしていたので、以前からのプロジェクトを続けたまま、この新プロジェクトに着手して良いのか確認をとっていたのです。はっきりと「続けて良し」と言っていたので、安心して新プロジェクトに着手したのです。それが手のひらを返したように、この言いぐさです。頭にこないほうがおかしいのではないでしょうか。自分の足を自分で引っ張るようなことをさせられていたのですから…
何を話しても、どう抗議しても、以前のプロジェクトはやめてくれと譲りません。そもそも、この以前のプロジェクトは、「私には決めかねるから、もっと上の人に決済してもらって」と言って始まったものなのです。そうやって責任を放棄したくせに、今になってやめろというのは、そもそも筋が通らないではないですか。
会議は平行線のまま終わり、その日はそのまま帰ったのですが、帰ってからも怒りは募るばかりでした。居ても立っても居られなくなり、この上司の、更に上司の家に押しかけてすべて事情を話し、このもっと偉い人に決済してもらうよう頼みました。
次の日、このもっと偉い人は緊急会議を開いてくれ、一通り事情を確認した後、「せっかくやる気があってうまくいっているプロジェクトをつぶすようなことはするな」と一喝してくださいました。大変ありがたかったです。
この件がもし通らなかったら、会社を辞めるつもりでした。何も間違ったことをしていないのに、自分の足を自分で引っ張るようなことをさせられて、うまくいっているプロジェクトを潰される。そんな職場ならいる価値はないと思ったのです。
今回は事なきを得ましたが、次回はどうなることやら…先が思いやられます。

トラックドライバーの過酷な勤務と実態

トラックドライバーというのは過酷な勤務があるものです。どんな勤務かというと深夜に出て行き次の日の明け方に帰ってくるなどということもありますので労働時間が20時間を超えてしまうといったようなこともたくさんあるのです。トラックドライバーの仕事は、誰にでもできそうなイメージかもしれませんがやはりトラックを乗るスキルが重要になってくるため、なかなかいきなり初めてできるようなものでもありません。2トンから乗り始め4トンにステップアップその次に大型となるのが普通です。の上にトレーラーがありますけどトレーラーまで、ステップアップするためには本当に長い時間がかかります。私の会社は深夜に出て明け方に帰ってくるということが多々ありますけど、私の会社ではそれが当たり前となっているのでそんな時に会社を辞めたいと思っています私の会社は、非常に過酷な労働日数があり、全く休むことができませんそんな時に会社を辞めたいと思ってしまいます。私は会社を辞めたくてどうしようもないのですがやはりお金のためにどうしようもありません。会社が辞めたい会社が辞めたいそんな日を待っていても会社を辞めることができない限り私は苦痛から解放されないのです。トラックのドライバーと言えば、やはり過酷な勤務というイメージがつきまとうのではないでしょうか。私の会社も例外ではなくやはり過酷な勤務で有名な会社でした。周囲にはもっともっと楽な勤務体制の会社もあったので、私はもっとそのような会社に入りたいと思っていましたが、当時結婚して娘が生まれたばかりでしたので張り切って頑張るほかありませんでした。周囲に頑張れ頑張れと言われても私の体は限界にきており食事も現場現場の間で、カップラーメンをすするようになっていました。食事の時間も満足にとることが出来ない仕事の中であたしはストレスがmaxになってしまいました。頭もはげてきて、悲しくなる一方です。早く家に帰りたいそう思っても私は東北の中を雪道のなかを走っていたり長野走っていたり、神奈川果ては北海道までも行きました。高速道路で覆面パトカーがたくさんいる中気を使いながらなるべく急いで配達しなければなりません。当時は80キロ規制などはありませんでしたから、なるべく急いで現場へ向かうのが普通です。そんな中私は居眠り運転惜しそうになり恐怖を感じて会社を辞めたいと思いました。私の会社は居眠り運転で事故で死んでいる方がいらっしゃったので私もそのようにならないように気を付けなければと気を引き締めて運転をしておりましたが、事故を起こすときは事故を起こしてしまうものですから私は早くトラックドライバーを辞めたいと思っていました。そんな中私は条件の良い会社に出会いトラックドライバーを辞めなくてもほかの会社にステップアップしていこうと考え、そんな中私は条件の良い会社に就職しました。ですからトラックドライバーを止めることはできなかったんですけどそれでもトラックドライバーを辞めたい辞めたいと思いながらトラックドライバーをしていました。上下関係も厳しい会社でしたから突然怒鳴られたりすることもあって私は会社を辞めたいと思うことがとても多かったです。もっとゆっくり食事をしたいとか、もっと早く家に帰りたいとかそんなことばかり考えていましたのでよく事故を起こさなかったものです。

飲食店の店長を辞めようと思ったとき

私は、新卒で飲食業界に就職しました。
選んだ理由は、「若くして店長になれるチャンスがあること」と「店舗運営のノウハウを学べること」が大きな理由でした。
自分で思い描いていたように、新卒2年目で1店舗を任せてもらうことができました。
小さく、また郊外の店舗であったこともあり、チェーン店でありながらも多少の工夫等も容認いただき、様々なチャレンジをさせてもらいながら、失敗も成功も体験させていただいた貴重な時間であったと感じています。
正直なところ、時間外労働も多く、休日出勤も多々あり、巷では「ブラック企業」と言われるような働き方をしている時期もありましたが、私個人としては売り上げが伸びていったり、アルバイトスタッフの成長を目の当たりにできることも多く、充実した時間で、とても良い経験をさせてもらったと思っています。
また、そのような働き方をしてしまっていたのには、私自身の未熟さもあり、周囲にヘルプを出せなかったり、店舗の運営として適切な人員の確保や育成という部分が未熟であったなと反省することの方が多く、適切な働き方をするために店長は何をすべきなのかということも考えさせられる経験でもありました。
そのような中で、なぜ会社を辞めたいと思ったかといいますと、「チェーン店という枠の中では裁量の範囲が限られてしまうこと」と「飲食店の店長というのは外部の方との接触が少なく、業務上において磨いていける社会人スキルが限られてしまう」と感じた時です。
早い段階で責任のある仕事を任せてもらえる、経験できるという点においては本当にその通りだったのですが、仕事に慣れてくるに連れて少しずつ社会を知り、他のことに興味が出てきてしまったという感じです。
就職活動をする際に、目先のことしか見えていなかったというのが、私自身の反省ではあります。
結果的には、その半年後ぐらいに退職してしまうのですが、不満だけを言うだけではいけないと思い、その間も私なりの販促方法や近隣への営業活動等に精を出すようにしてみました。
しかし、店長になってからというもの、あまり苦労をせずにそれなりの成功体験を味わうことができてしまったこともあり、店舗異動というような刺激はありましたが、基本的な業務はどこの店舗に行ってもあまり変わりはなく、毎日のルーティンにも刺激がなくなり、営業職にチャレンジしてみようと思い退職しました。
辞めたら社会人としての経験を積む中で、新たにチャレンジしてみて得られることと、同じところに留まることでしか得られないこともあるということを学びました。
いまだったら、もっとこんなことができるなとか、こんな風にキャリアを考えていけることもあったなと感じることもあります。
いまはその思いから、キャリアコンサルタントの資格を取得し活動しています。

上司に恐怖を感じた日

私の仕事は、電話営業でした。
その時にはたくさんの方に電話を掛けて、商品を売るのが仕事でした。
一人一人にノルマがあって、それを達成出来ないと帰れない。そういう暗黙のルールがありました。
私が仕事を始めて、ノルマ達成に毎日苦労してましたが
なんとか達成しておりました。
ですがある日、わたしはノルマを達成出来ずにいました。
まだ新人だった私は、謝れば許してもらえるだろうと。
もしくは残って頑張れば問題ないだろうと、甘い考えでいたのです。
いきなり上司に呼び出され、何だろうと思ったら
いきなり目の前の机の上にあった電話機が飛んできました。
私はびっくりしまししが、運動神経だけはあったので
何とか当たらず避ける事が出来ました。
ですが、いきなりの事に動揺が隠せませんでした。
そして、「お前やる気あるのか?」と聞かれました。
私は何も言えず、固まってしまいました。
なんて言ったら良いんだろう。何が正しいのだろうと
正解を探してましたが、混乱してなかなか答えが見つかりませんでした。
そして、どうしようと固まっていた次の瞬間。「やる気がないなら帰れ」と
言われました。
この場から立ち去って良いんだ、そう思いました。
そして私はこの場を立ち去りました。
他の先輩方から、携帯に連絡が入り、大丈夫か?と
心配してくれましたが、私は大丈夫としか返事出来ませんでした。
その後に、上司から悪かったと連絡が来ました。
ですが恐怖で連絡を取る事も出来ずにいました。
このまま仕事を辞めたい、もしくはあの部署から異動したいと思ってしまいました。
次の日、私は会社を休みました。
怖くて怖くて、たまらなかったのです。
そうしているうちに、3日立て続けに休んでしまいました。
その後、管理職の方から連絡が入りました。
どうしたの?と言われ、最初は何も言えずにいました。
ですが、とても優しい方で、
「あなたを助けてあげたいから。悩みがあるなら言って。」と言ってくれたのです。
それに私はすごく安心して、涙が止まらなくなりました。
その後、私は怖かった出来事を話しました。
聞いた方は、まさかうちの上司がそんな人だとは思ってなかったのか、とてもびっくりしていました。
ですか、私の気持ちを察してくれて、異動を進めてくれました。そして、私もその上司と関わることはない職場で再スタートをさせてもらいました。
噂では、元上司は他の方にも同じような、暴力的な行動が散見されたらしく、会社を辞めた様です。
ストレス社会と言われるこの世界で、誰もがイライラが溜まっているのだとは思います。
もちろん、怒りたくなる時だってあるのも、仕方ないとは思います。
ですが、叱り方を間違えては欲しくないなと感じた瞬間でした。

上司が大きなセール前日に・・・・

私は20代のときに販売業にいました。入社一年半で初めて転勤を経験しました。その転勤先の上司の話です。彼はアルバイトから社員になった苦労した人でした。私は大卒で普通に入社、上司は私よりひとつ年上でしたが、バイトから社員になったので経験は明らかに私より上です。上司として物腰も柔らかだし、話しやすく質問しやすかったので嫌いではありませんでした。その当時、私の会社は倒産危険会社でした。売り上げを毎回求められていました。近くにはライバルだらけでセールだけでは売り上げは難しい状態でした。しかし、売り上げがほしい本部はどうにかしてセールをアピールしてお客様に来てもらえるようにDMなどうっていました。セールは忙しいです。少ない社員とバイトでまわします。前日から売り場変更があり、深夜になることもあります。もちろん、セール当日はお客様接客に忙しいです。しかし、入社一年半の私がそのセールを経験したのは3回でした。やり方も上司の売り場を再現しますが、チェックを上司がして本番に備えます。
そんなとき、若い上司と初めてのセールがありました。お店が変わるとやり方も違います。セールの準備にドキドキしていました。ところがですよ。上司は一週間前にとんでもないことを言って来ました。それは、自分は転職したいとのことです。それだけならまだいいです。私たちは若いのだから選択の自由が効くうちに転職した同僚はたくさんいたからなんとも思いませんでした。問題はそのあとです。面接がセール前日だから休むからがんばってくれとのことです。びっくりしました。ただえさえ心配性で自信のない私にセールの準備を指揮しろとのことです。計画を立てたのは上司です。どんなイメージの売り場か教えてもらいましたが、難しいです。
結局私はかなり時間がかかりました。売り場の手順がわからないからです。
セールは無事に終わりましたが、上司は面接終わってから来れたはずなのに・・・私は忠実に上司が面接で休んだことは誰にも話しませんでした。
今思えば、ばらせばよかったです。上司は、課長や部長にかわいがられていたから、平気でセールを休むなんて、いってやればよかったと後悔しています。
私が仕事を辞めたの理由ではありませんが理不尽でなりませんでした。私が会社を去るとき嫌われていたので部長など挨拶にも来てくれませんでしたが、彼のときは残念がっていました。本当に見る目がない会社です。退職してよかったと今は思います。これもいい経験ですね。今は、営業をしています。やりがいがあってたのしいです。あのころがあったから営業を目指すきっかけになりました。ありがたいことだったのかは複雑です。

毎日、平均5時間の残業で、ストレスフルに、仕事を辞めたいと毎日思っていました。

私は、8年前まで、17年間、市役所に勤務していました。 一応、地方公務員になるので、 仕事はそんなにハードなものではないと思っている人もいらっしゃるかと思いますが、そんなことはありませんでした。配属された部署によって、仕事の内容が大きく異なり、楽な部署もありましたが、仕事がとてもハードな部署もありました。
市役所の仕事始めてから8年目、30歳の時、私は市民課という部署に配属になりました。そこの庶務係という所に、外国人登録事務の仕事がありました。
外国人登録事務の具体的な仕事は、外国人登録済証明書という免許証のような写真入りのカードを発行して、交付することと、外国人登録済証明書と呼ばれる住民票のようなものを発行するのが主な仕事でした。その仕事は、 具体的には、パソコンのデータ入力作業でした。
外国人登録に関することのすべてを、1人で担当していましたので、仕事量がかなり多く、毎日、同僚たちが帰ってから、事務所に1人残り、5時間から6時間残業する日々が続きました。
私は、当初、外国人登録事務は、英語を活かせる仕事、英語を使って外国人の方とコミュニケーションをすることができる夢のある仕事だと思っていましたが、それは大きな勘違いで、実際には、毎日、パソコンに向かい、十何時間も、入力業務を行うのが主な仕事でした。
毎日の残業がたたり、私はストレスで、胃の調子を悪くしてしまいました。
それでも、その時の直属の上司である係長や、周りの同僚達は、私の仕事を手伝ってはくれませんでした。
おまけに、係長は、私の仕事に全く理解を示してもくれなかったのです。 私が自分の仕事について、説明を求められ、一生懸命説明しても、係長は、「あんたの言うことよくわからんのんだ」と言うだけでした。
入力作業で、同じことを2度入力するなど、効率の悪い作業が多くあったので、「それについて、改善してほしい」と係長にお願いしても、私の仕事に理解のない係長は、私の話をよく聞こうともせず、「ただ、予算の関係で、できないんだ」と言うだけでした。
「それなら少しぐらい、係長が、私の仕事を手伝ってくれてもいいのに」と私はいつもそう思っていましたが、 私の仕事を、係長が手伝ってくれたことは、一度もなく、私が残業しているのを横目に、「早く帰れよ」と言い残して、先に帰ってしまっていました。私は、それを言われるたびに、「早く帰れるもんなら私も早く帰りたいよ」と心の中で、思う毎日でした。
毎日の残業と、上司の理解のなさに、ストレスが溜まり、 私はついに体調を崩してしまいました。
その時、私は、本当に心から仕事を辞めたいと思いました。
結局、1年で、私はその部署から異動になり、ストレスから解放されたので、仕事を辞めませんでしたけど、あんな状況が長く続いていたら、間違いなく、私は仕事を辞めていたと思います。

仕事を辞めたいと思った時と上司にいじめられていた時

私は仕事を長年辞めたいと思っていました。なぜなら上司にいじめられていたからです。常に上司に怒鳴られ続けて頭がおかしくなってしまいました。逃げ道を探して会社を辞めたんですけど、会社を辞めてからアルバイトをしました。長年苦しめられた上司ですから、私は本当に逃げるように退社したんですけど後悔はありません。あのまま続けていたらほかの病気になっていたと思うんです。常に怒鳴られていたので今でも耳の鼓膜がおかしいです。私が仕事ができないからというためだけではなく、私の性格にも問題があると思うんですけど仕事をやる意欲は怒鳴られ続けることによって薄れていきました。今ではアルバイトもろくにできなくなってしまったので家に引きこもりがちになっています。そんな状態になってしまったのも深夜遅くまで残業させられて半監禁状態で仕事していたあの会社のおかげだと思います。社会が怖くなってしまったんです。会社を辞めるそう話した時周囲はお前の人生はもうそこで終わりだなと言いましたけど人生は終わりません。とにかく呼吸をしている限り生き続けるわけですからそして食べて行かなくてはならないですから何とかして就職をしたいものの家に引きこもりライター活動をしたりしていますけどどうにもこうにも体が動きません。このようになってしまう人もたくさんいると思うので、私はあまり退職するのオススメしませんがどうしても無理なら私のように逃げ出してしまうのも勝ちだと思います。人生に負けている私は勝ち負けにはこだわりませんがやはり負けたのかなという感情は常に抱いております。もともと勝負事が得意ではないので、勝ち負けにはこだわりませんけど常に負け続けているんだなという感情がふつふつと湧いてきます。負けるというのはあまり良い気持ちではありませんね、しかし私は負けています負け続けています。負け続けてしまったことは私のせいだけなのでしょうか。生まれながらにそれほど頭も成績も良くなかった私は学業からして常に負けてきましたこれなら人に負けないということは1つだけありましたけどそれが食べることに対して稼ぐことに対してのプラスになっていません。ですから私はどうしても稼ぎ続けたいと思いますけどそれには文章を書いたりたまにアルバイトをして生計を立てていくほかないと思っています。真面目に生きていきたいのに真面目に生きていくことって難しいなぁと思ってすごく窮屈な思いをしています。生活保護は私は受けていないんですけどいちど生活保護を受けることを考えたことがあります。生活保護をもらったらなんだか勝ちなような気がしてきたこともあります。私は常に上司に怒鳴られていたのでそんな卑屈な心になってしまったんです。いろいろ言う人はいると思うんですけど、私のことをそんなにせめて楽しいのかなという感情でいっぱいです。

自分の問題を抱えたまま働くことへのリスク

私が音楽教室の講師をしていた頃のことです。
勤め始めたときは子供たちと関わることが楽しく、今思うとやりすぎだったと思うほど時間外にレッスンの準備をしたり、自分の技術を磨くために練習をしていました。
それはお給料には到底見合っていない仕事で、そうとはわかっていても私は時間外の労働をやめられなくなっていました。
なので、心も身体も休まる暇はなく、仕事を始めて1年が経つ頃にはその限界を感じていました。
3年勤めたら辞めよう。4月に就職したその年度終わりにはそう決意していました。
次の年からは仕事にも余裕が出てきて、少しずつ時間外労働にもブレーキをかけることが出来るようになってきました。
ただ、その分会社のイヤなところばかりが目に付くようになってきたことも事実です。
ボランティアと称した発表会の手伝いをしたり、毎年同じことしか言わない・しない勉強会には絶対的に参加しなくてはならなかったり、これは仕事なのではと思うようなことにも給料が支払われなかったりする会社側の人たちに怒りすら感じました。
一方、私は大学を卒業し、地元で就職が決まったので実家に戻っていました。
大学生活での一人暮らしはそれまでに比べると自由で、
よく「親のありがたみがわかったよ」とか言う人がいますが私にはまったくそんなことはわからず、とくに親に感謝することはない4年間が過ぎていきました。
それで改めて実家に戻り、ここは自分の居場所ではないとわかったのです。
これは自分自身の問題ですが、今まで自分を取り巻いてきた環境が要因でもあり、子供の頃からの記憶をたどるとずっと学校に行きたくないとか勉強したくないとか、他人が怖いとかそういうことに行き着いてしまいました。
そして、これはのちにも繋がって「あ、仕事したくないな。」と思いました。
とてもわがままなことはわかっていますが、今までやりたくないことをやってきて心がぼろぼろになった以上、
今までにない行動を取りこの苦しさから逃れたい、今まで培ったものを全部捨てなければならないと思いました。
ただ、その瞬間に辞めることはできず、やはり勤務して3年で辞めようと堅く決めたのが入社2年目の終わりでした。
いよいよ入社3年目になると、私は「よっしゃ!あと一年!生徒たちと別れるのはさみしいけど、やるしかない!」と張り切っていた矢先でした。
ある保護者の方から、「今日はありがとうございました。○○も楽しそうに、帰って早速宿題をしていましたよ~」とメールが来ました。
それはその日に初めてレッスンに来た生徒の母親でした
その後もその方はレッスンが終わったり、わからないことがあると逐一メールをしてきました。
そして、ある日「教材が鞄にないので、困ります。」と連絡が入っていました。
自分の鞄を探すとその子の本が混じっていました。
その頃あたりから私への不信が募ってきたのか、その保護者から私へのレッスンの方針や言葉のあらを探すような攻撃的なメールや言動が目立ち、
当時は自分の精神状態が不安定だったこともあり、私はその方に対してすっかり萎縮していました。
この騒動が起こる前にはその方もお子さんのレッスンに付いて来ていたのですが、それからは一度も来られず、とうとう最後のレッスンの日になりました。
その日はどうしてもお互いに顔を併せて話さないといけなかったのですが、私はどうしても無理だと思い会社に、
「こんなことがあって気が滅入っています。他の生徒さんのレッスンができなくなるかもしれないほど辛いのです。なので○○さんのレッスンをその日の最後の時間にして頂けないか取り合ってみてくれないか」と相談したのです。
しかし、会社からは「そんなことをしたら火に油だ。なんとか頑張って。」という一言しか聞けずにその日を迎えました。
私は結局、その問題が起きた生徒のレッスン後にパニックになってしまい、そのあとに行うはずの生徒のレッスンができる状態ではなくなりました。
その日の夜には、「精神病なのですか?そんな方には教えてもらいたくない。○○がかわいそう。」など、あなたもそこそこ害があるのではと思うようなメールが届きました。
元々は自分の問題を抱えていてそれを第一の理由に会社を辞めたかったのですが、この事件で限界が来てしまいました。
それ以来、私の怒りの矛先は会社に向かい、入社3年が終わる半年前に私は会社を辞め、実家を離れて一人暮らしを始めました。

私が会社を辞めた理由

私は以前、小さな会社の会社員でした。
社長と先輩と私の3人の会社でした!
私が違う会社で働いていた時に出会い、良かったらうちに来ないか?というお誘いでした。
その時の会社の給料や人間関係にも満足していたわけではなかったので、少し悩んでその会社に行くことにしました!
僕が違う会社にいた時から凄く良くしていただいていたので、入社してからは仕事も人間関係もとても満足していました!
ですが、時間が経つにつれてだんだんと悪い部分も目につくようになってしまいました・・
社長と先輩の二人でやってた会社だったので、途中から入った僕がよそ者。みたいな扱いになっている時が多々あったのです。
まあ、元々二人だったのだからしょうがないと思って我慢していましたが、そのうちどんどんエスカレートしていきました。
出身が田舎だからとバカにされ、お前はうちの社員じゃないなどと言われ、辞めちゃえ、帰れ、などしょっちゅう言われるようになりました。
さすがに私も我慢の限界で帰った時もありました。
そうするとわざわざ家に来て、悪かったな。明日からまた頼むぞ!と言って帰っていきました。
それからいつも通りに戻った!と思ったのですが、また時間が経つと同じようなことの繰り返しになりました。
さすがに我慢できずに、なんなんですか?と社長に言ったら今度は先輩にお前誰に口聞いてるの?と殴られました。
一番近くで見ている先輩で相談もずっと乗ってもらっていました。
社長はああいう人だから!我慢しなよ!とか飯でも行くか?とか仕事以外にも親しくさせてもらっていた先輩だったのでとても信用していました。
社長に言う前にも、先輩に相談してちょっと文句言って来ていいですか?と言ったらさすがに言ったほうがいいな。お前が何も言わないからああ言う感じなんじゃない?
と言われたので、私も社長にたてついたのです。
そこで、まさかの先輩に殴られるんですからビックリです!
よそ者扱いされた挙句に、ハメられて殴られその後社長にもとことん殴られました。
そのことがきっかけで辞めようと決意しました。
3人しかいなくて一人だけ違う扱いされるのは流石にたまりませんでした。
2年半以上信じて、ずっと相談していた先輩に裏切られたという思いしかありませんでした。
人間不信ですよね。会社を辞めてからは社長も先輩も一切連絡取らなくなりました。
最近、社長からも先輩からも電話きてますがもちろんシカトですよね。
だって先に裏切ったのはそっちなんですから。
入社する前に信じすぎてた部分もありますし、本当にいい人達だな!と過剰に思っていた私にも悪い部分はあると思いますが、さすがに2対1で手出すのはおかしいですよね。
この人たちの元で働こう。という気持ちが一切なくなったので辞めました。
私が会社を辞めた理由はパワーハラスメントです。