トラックドライバーを早く辞めたい

私はトラックドライバーです。トラックドライバーの勤務は過酷なもので、深夜から翌朝まで続くことが多数あります。私の仕事は、深夜に出ていき翌朝まで長引くような長丁場の仕事ですから、非常に過酷で睡魔と戦うことになります。そんな時私はヘビースモーカーになってしまいました。トラックドライバーのせいでヘビースモーカーになるなんて思いもよりませんでした。タバコを吸っていないととにかく眠気に襲われて大変なことになるのです。タバコを吸っていれば何とか仕事ができる、そんな気持ちになっていました。タバコもやめたいしトラックドライバーもやめたい健康的な生活ってどんな生活なんだろうと悩むようになりました。しかし私は10年のトラックドライバー生活の中でやはり過酷なドライバースケジュールを組む内勤の人たちに対して若干のストレスを感じていました。もう少しゆとりを持ったスケジュールを組んでもらいたいそのような考えが頭をよぎり、残業代は支払ってもらえないし少し遅刻しただけで本当にうるさいし不満だらけでした。私は毎日の生活がガタガタに崩れてしまったのがトラックドライバーの仕事をしていたからだと思っています。当時結婚して結婚したら娘ができてその時に仕事量を2倍に増やされたんです。おそらく結婚して子供ができたから、会社を辞めないと思ったのでしょうか突然仕事量を2倍に増やされました。そんな2倍に増やされた仕事私は淡々とこなしていましたけど今考えればばかばかしいことだったと思っております。それからすぐに体のことを心配してその会社は退職しました。どう考えても2倍の仕事を普通にこなしていくのは無理です。私は、どうしてもお金が必要でしたから残業量について上司に相談しました。しかし上司は掛け合ってくれず、私の仕事量を増やす一方で、残業代の支払いには応じず私はとうとう労働基準監督署に電話をかけました。そして会社との折り合いがつき残業代を支払ってもらうに至ったのですがあれから上司のいじめがひどくなり私は会社を退職しました。現在は違う会社で働いているので居心地が良いのですがその会社には散々トラブルを引き寄せられたと思っております。普通に考えて残業量仕事量を2倍に増やすなんておかしいとしか言いようがありません。結婚したとか娘ができたとか子供ができたのかそういった弱みにつけこんで仕事量を増やす最低な会社だったと思います。おとなしい人だったらずっとそれで続けていくのでしょうか。私はとてもじゃないけど体のことが大変だったのでどうしても無理でした。トラックドライバーの仕事をしていく上で、非常に過酷な勤務が続きますから、体のことは人一倍気をつけて行かなくてはなりません。自分の身は自分で守らなければならないということです。

警備員を辞めたいと思ったとき

警備員の仕事は過酷です。冬場になると深々と冷え込みますが、体を動かすことができないのでじっとしているだけで冷え込んできます。強風が吹き付けると泣きたくなってくるものです。時間もなかなか立ちませんし、単調な作業なので本当に眠くなります。お腹が空いたしまったり喉が乾いてしまったりしても時間いっぱいまで絶対にその場を離れることができないので本当に辛いです。道路に立って交通整理の仕事をするわけですが、上下関係もとても厳しくて上の人には絶対に逆らうことができません。ある日、私は下痢に襲われトイレにこもってしまいました20分以上こもってしまったので怒られると思って帰ったのですが突然怒鳴られてしまいました。交通整理の仕事はニンジンなどとも呼ばれ、楽なイメージがありますけどいちどやってみるとわかると思いますが非常に過酷です。1日中道路に立った次の日は、顔が真っ黒になり深夜いっぱいいっぱいまで働くと本当に疲労でいっぱいいっぱいになります。私の会社はとても上下関係が厳しかったので、和気あいあいと話すようなことはありませんでした。現場が変わると人の良い人思いましたけど大変厳しい人が多く私は溶け込むことができませんでした。どうしてあんなに仕事に一生懸命になれるんだろうといろいろ考えていましたけど私には答えが出ませんでした限られた時間を有意義に使いたいだけですのでお金のために働くにはどんなことも我慢しましたが、突然怒鳴られてしまうようなことが続くと非常に苛立ちました。私は、交通整理の仕事が好きなわけでもなかったのでお金のためにやっていたわけですが、冬場の本当に寒い日は早く帰りたい気持ちでいっぱいでした。私はメンタルが弱いので、早く帰りたいと思ってしまうことがとても多く、なんでこんな仕事しているんだろうと思ってしまったり、あた怒鳴られるんではないかとドキドキしてしまったりすることが多かったのです。どんな仕事も非常に大変ですけど警備員の仕事は特に辛い記憶が多いです。どんな仕事をしても本当に大変なものですよね。私の仕事は、交通整理でしたから毎日毎日やることは違いますし毎日現場も違っていました。当時スマートフォンはありませんでしたので地図で調べてその現場まで行く道筋を調べてから現場へ向かいました。そんな時道を間違えてしまい現場にたどり着けない時間が多くなると非常に上司に怒鳴られましたので、私は萎縮してしまい毎日が怖くなってしまいました。安心して毎日を送りたい、安心して仕事をしたい。そんな願いは私には高望みだったのでしょうか私には本当に苦労した毎日でした。それでいちにち7千円ですから本当に給料も安いですなかなかお金がたまりませんでした。そんな毎日に嫌気がさして私は転職しましたけど、道路交通整理の仕事をしている人たちを見るたびに思い出します。

警備員の過酷な冬会社を辞めたい

警備員という仕事は、道路の交通整理をしますけど、非常に冬場は辛いものです。冬場は手がかじかみ、足も非常に冷たくなります。ほとんど安全靴を履いているので、鉄板が深々と冷え込み足が冷たくなるのです。私は非常に冷え性なので泣きたくなるほど辛くなり、会社を辞めたくなりました。冬の道路に立っていると、警備員は体を動かしませんから体が温まるようなことはありません。できれば体を動かして働きたくなってしまうような衝動に駆られてきます。警備員という仕事は非常に過酷で、孤独も感じます。早く仕事が終わらないか待てど待てど時間は経過しません。毎日職場も行き先も違います。そして責任は重大なので居眠りなどは決してできません道路の交通整理をするにあたって、非常に責任感が問われてきます。私の会社は、遅刻などしたら大変なことになる会社でしたから時間だけは厳守でしっかりと守っていました。早く家に帰りたい早くご飯を食べたいそのような気持ちが襲ってきたときに時計をちらっと見てしまいます。時計をちらっと見て10分経つのが30分にも感じたり1時間にも感じたりします。トイレに行きたくなったときも本当に大変なのです。少しトイレに行って下痢が長引き、20分ぐらいこもってしまったことがありましたが、帰った途端に上司に怒鳴られました。トイレに行って帰ってきただけなのに怒鳴られるようなことがあるのが警備員の仕事ですから心して警備の仕事に取り組んでください。私はその頃から会社を辞めたくて辞めたくてどうしようもありませんでした。早く会社を辞めたい、早く楽な生活がしたい楽に稼ぎたいそんな気持ちばかり頭を駆け巡ります。しかし稼ぐ方法を私は知りませんから経理の仕事をしていくほかありませんでした。私は現在でも稼ぐ方法あまり知りませんので、貧乏していますが当時警備員をしていた時の過酷な足の冷たさにはまいりました。夏場も暑くむんむんとするので早く会社を辞めたいなとそんなことばかり考えていました冬場の強烈な寒さのなか風が吹き付けるとますます寒くなるので底冷えをします。いきなり運転手さんに怒鳴られたこともありますので、こんな仕事早く辞めたいと思っていました。駅の警備をしていた時の話ですけど、駅の警備も非常に忙しく歩行者のみなさんにとってわかりやすいKBをするように努めていました。どのような状況の中でも私は仕事を辞めたいと思ってしまうので、メンタルが非常に弱いように思います。何か良い仕事ないかなと探してみてもこんな性格ですからなかなか見つかりません。早く会社を辞めたいそういうふうに考えるとキリがありませんね、もっと良い仕事ないかなと探してみても探す仕事はどれもこれもきついものばかりですので何もかにも続きません。

飲食店の店長を辞めようと思ったとき

私は、新卒で飲食業界に就職しました。
選んだ理由は、「若くして店長になれるチャンスがあること」と「店舗運営のノウハウを学べること」が大きな理由でした。
自分で思い描いていたように、新卒2年目で1店舗を任せてもらうことができました。
小さく、また郊外の店舗であったこともあり、チェーン店でありながらも多少の工夫等も容認いただき、様々なチャレンジをさせてもらいながら、失敗も成功も体験させていただいた貴重な時間であったと感じています。
正直なところ、時間外労働も多く、休日出勤も多々あり、巷では「ブラック企業」と言われるような働き方をしている時期もありましたが、私個人としては売り上げが伸びていったり、アルバイトスタッフの成長を目の当たりにできることも多く、充実した時間で、とても良い経験をさせてもらったと思っています。
また、そのような働き方をしてしまっていたのには、私自身の未熟さもあり、周囲にヘルプを出せなかったり、店舗の運営として適切な人員の確保や育成という部分が未熟であったなと反省することの方が多く、適切な働き方をするために店長は何をすべきなのかということも考えさせられる経験でもありました。
そのような中で、なぜ会社を辞めたいと思ったかといいますと、「チェーン店という枠の中では裁量の範囲が限られてしまうこと」と「飲食店の店長というのは外部の方との接触が少なく、業務上において磨いていける社会人スキルが限られてしまう」と感じた時です。
早い段階で責任のある仕事を任せてもらえる、経験できるという点においては本当にその通りだったのですが、仕事に慣れてくるに連れて少しずつ社会を知り、他のことに興味が出てきてしまったという感じです。
就職活動をする際に、目先のことしか見えていなかったというのが、私自身の反省ではあります。
結果的には、その半年後ぐらいに退職してしまうのですが、不満だけを言うだけではいけないと思い、その間も私なりの販促方法や近隣への営業活動等に精を出すようにしてみました。
しかし、店長になってからというもの、あまり苦労をせずにそれなりの成功体験を味わうことができてしまったこともあり、店舗異動というような刺激はありましたが、基本的な業務はどこの店舗に行ってもあまり変わりはなく、毎日のルーティンにも刺激がなくなり、営業職にチャレンジしてみようと思い退職しました。
辞めたら社会人としての経験を積む中で、新たにチャレンジしてみて得られることと、同じところに留まることでしか得られないこともあるということを学びました。
いまだったら、もっとこんなことができるなとか、こんな風にキャリアを考えていけることもあったなと感じることもあります。
いまはその思いから、キャリアコンサルタントの資格を取得し活動しています。

マタニティーハラスメント

正社員として、1人目の育児をしながら働いていました。2人目の妊娠が発覚し、初期は妊婦ということで、重い物の運搬などの作業を軽くしてもらったり、つわりがひどい時には一時的に産婦人科で点滴を受けさせてもらうため、中抜けをさせていただいたり、本当に理解のある職場だと思っていました。職場としては、上司も同僚もとても良い方ばかりで、働きやすいと感じておりました。妊娠6ヶ月を過ぎ、安定期に入ってから、急激に職場の居心地が悪くなっていきました。同僚の態度は特に変化はなく、心配をしてくださる方もいました。問題は同僚ではなく、社長及び役職の方々でした。仕事中に応接室や会議室への呼び出しがかかり、社長や上司、総務などが口々に「2人育児をしながら、正社員で働くのはすごく負担がかかると思うよ。」「子どもが病気になったら、休んだりされたら困るよ。」「1人だけのときでも、子どもの病気で有給を使ってたのに、2人になれば苦労が数倍になるよ。」などと、2人育児と仕事の両立について、しつこく言うようになってきました。2人育児と仕事の両立が大変だということは承知の上で2人めを妊娠しましたし、言われ始めた初期は、「大丈夫です。頑張ります。」と言って、かわしていましたが、その話は多忙な時間もされるようになりました。そして、もうすぐ産前休業に入ろうとしている時期に部署異動を命じられました。入社して、一年目で異動して、数年間同じ部署で仕事をしていたため、他部署の仕事に関してはあまり詳しくもなく、異動した先で任される仕事も、アルバイトやパートでもできるような簡単で単純な作業ばかりでした。異動してからも2人育児の大変さを言われることは続きました。理解のあった同僚も部署異動により、あまり理解のない上司や同僚になり、産前休業を本当に指折り待つようになりました。ボーナスの際も、妊婦だからサボっているというニュアンスを含んだ査定をされました。また、産前になり、入社当時からお世話になっていた、女性の社員の方にまで2人育児の大変さを言われるようになりました。本当にお世話になっていて、信頼していた方からの言葉は本当に辛いものでした。産前休業に入り、もう小言を言われることはないだろうと、高を括っていましたが、産前に入っても電話や突然の呼び出しで会社からのマタニティハラスメントは終わりませんでした。出産前の一番体重が増える時期になり、あまりの痩せ方に産婦人科のお医者様からストレスで痩せているのであれば、胎児によくないと辞めることを薦められることもありました。結局、出産は問題ありませんでしたが、ストレスで胎児に何かあれば、会社を訴えていたかもしれません。

そこで働くことが夢でした。現実は違いました。

私が以前勤めていたのは雑貨と本屋さんが一緒になった若者に結構人気のあるお店でした。実はこのお店が今ほど人気が出る前に私の住んでいた田舎の方に土地が広かったからか店舗が出来て、その頃まだ中学生ぐらいだった私は「こんなお店があるんだ!」と衝撃を受け、ずっとそのお店の大ファンでいつか働いてみたいと漠然と考えていました。
それから何年もたって田舎から上京した私はラッキーなことに自分が通える範囲の場所で店の系列店の求人を目にしました。それを見た私は即電話をかけて面接の日程を決めました。そんなこんなで面接では今までの熱い思いを店長に語り念願の採用となったのですが、実は理想と現実はかなり違っており、働いている人たちは好きなものに囲まれて毎日遊ぶように仕事してるなんて想像とは全然かけ離れた、地味でハードな毎日が待っていたのです。
最初の方は時間の短いアルバイトのようなものだったので、品出しとか値付けとかが主なかんじでした。この頃の仕事は、たんたんと同じことをするようなもので結構好きだったのですが、時間が経つにつれてその当時働いていたほかの子たちよりも年齢が上だったこともあってかよく言ってしまえば昇進なのでしょうが、正社員と同じような立場になりました。店長からその話を頂いた時はとても嬉しかったし、頑張ろう!といった感じだったのですが、これが本当にキツかった!もともと時給はとても他の職業に比べて安いなとは思っていたのですが、それでも好きなことを仕事に出来るなら、と考えていたのですが残業がすごかった!本当に聞いてないよ~ってかんじでした。毎日のように終電ギリギリまで残業が続き、私より立場の上の方や店長なんかはお店に泊まり込みで作業などをしていました。次の日に朝出勤したら「一睡もしてない」という 店長たちの姿が!私もこのまま頑張って上がっていくのはいいけど同じこと出来るだろうか、、と考えるとだんだん怖くなっていきました。私ぐらいでも店長クラスに働かされました。もうとにかくなんでもやらされる感じで、覚えることが半端なく、数字が苦手だった私はお店の膨大な数の入荷商品の計算などもやっていましたが本当にわけわかんなくて時間もめちゃくちゃかかるし辛かったのを覚えています。家には寝にだけ帰っているような生活で、その当時付き合って同棲していた彼氏がいたのですが「彼氏をとるか仕事をとるか」状態になってしまいそれも結構なストレスでこの頃忙しすぎて記憶がないぐらいです。本当に好きでやりたいと思っていた職業でしたがあまりにもハードな仕事ぶりに、自分の人生を捧げられるかと考えたら、お客さんのまま好きでいようと思い店長には正直に話して辞めさせてもらいました。

女の嫉妬と上司の理不尽さ

子供を抱えて母子家庭で派遣でバリバリ仕事をするのは正直両立できるか不安だったけど、子供が大きくなるにつれてお金がどんどんいるのでやってみようと。
今までパートでしか仕事をしたことがなくバリバリ週5。6で働くのに不安を覚えながらも派遣先へ登録に。
そこでとある企業を紹介していただき面接を受け入社するときに私には同期入社の人がいることを知った。
同期とは強みだと思い同じスタートだから仲間ができたと思って嬉しくなってた。
 仕事はかなりハードで何種類もの仕事を毎日日替わりでこなしていかなければならない職場であった。人数は10人も満たない社内でこじんまりとした会社だった。
私と入れ替わりに辞める先輩の指導も熱がある感じで、毎日メモを取る、聞く、覚える。これの繰り返しであった。
同期がいるって素晴らしいことで毎日同期と仕事の愚痴や相談、わからないことは二人で解決して仕事を覚えることに必死になっていた一カ月。
ここからすでに女の嫉妬の片鱗が見え始めてるとはその時の私には気付かなかったのでした。
 入れ替わりの優しい先輩が退社すると、もう一人前だということで現場に出されて何種類の仕事を日替わりでこなしていくことになった。
同期がいるからまだ救われてる、聞きたいことも同期や聞きやすい先輩に聞きながら日々過ごしていた。
ただ上司の私へのあたりがきついことを除けば頑張れそうだと思っていた。いつも上司に理不尽な事で叱られる私を見て同期は慰めてくれたり、愚痴を聞いてくれるのであった。心の中でいつも「同期がいて良かった。また頑張ろう」と思うばかりだった。
そんな忙しい日々を過ごして頑張っていたある日、、、。
 仕事では先輩、年齢では年下。これが一番お互いにやりにくいポジションである人が声をかけてきてくれた。
私は数少ない人数の中、この人が一番苦手であった。若い、そこそこ可愛い、しかも自分にとても自信あります。的な若さを前面に押し出してくる先輩だったからだ。
「○○さんって綺麗ですよね。尊敬します。その年でお子さんがいて綺麗なママだなんて」
にっこり笑顔で声をかけてきてくれたのには正直怖いと思ったけど、自分を褒めてくれてることは嬉しくなった。
「そんなことないですよ。○○さんの方が可愛いし、モテるでしょ。羨ましいよ。」
と苦手だと思いながらも職場ではあたりさわりなく答えるのが一番だと思い返答していた。これをきっかけに若い先輩は休憩時間が被れば向こうから良く話しかけてくるようになった。
 彼女は自分の家庭の話や、仕事の愚痴、上司への不満などさまざまなこと話してきた。もちろん苦手意識をぬぐいきれない私から話すのではなく、先に話し出すのはいつも彼女で私は相槌を打つばかりの日々だったのだが、彼女はこんなことを聞いてきた。
「○○さんは上司の事上司の事どうおもいますか?いつも私が話してばっかり。この際だから言ってくださいよー」
いつも相槌ばかりだったので自分から答えるのは嫌だと思った私だが、彼女は私の答えを待つばかり。
困った私は
「あたり強いから好きじゃないかな。。。」
と答えた。これは事実で毎日理不尽なことで叱られることで嫌気がさしていたし、本当に好きじゃないと思ってた。
「そうですよね。○○さんいつも意味わからないことで怒られてますもんね。あれには私もうざいって思ってました。あっそういえば。。。」
とにっこり笑顔で私の意見に同情してくれたし、上司の話はそこで終わって別の話題になったから私もホッとしていた。
 
 週明けになり、また地獄の仕事に行かねばならないと思いながら出勤すると。
いつもと雰囲気が違い、私が挨拶をしてもなんか素っ気ない空気が流れていた。
「あれ?なんだろう」と思っていると同期が私に耳打ちで「なんか言ったの?やばいよ?!」
同期は全てを知ってるかのように。。。。
幸いにも仕事中はとてもバタバタしているので朝の素っ気なさも気にすることなく仕事を終えることができた。
帰りに同期に詳しい話を聞いて私はぞっとしたのである。
「何を言ったの?あの子に。○○すごい文句や悪口を彼女に言ったんだって?上司や彼女と私以外の人全てよ?」
ん?ん?ん?何のことだ私は何も言ってないし、いつも愚痴や文句を言うのは彼女であって私ではない・・・。
たった一回だけ上司の愚痴をいっただけなのにどうしてこんなことになるのだ。
彼女とあったことを全て同期に打ち明けると同期はわかってくれたのである。
「○○が言ってることは間違えなさそうね、わかった信用するから。私がなんとかしてみるね。」
同期は私にそう言ってくれた、信用されたことはほんと嬉しかったし、味方になってくれてるのは今では同期だけだと言う状況でその言葉はとても安心させてくれた。
あれから彼女から話しかけられることもなくなり周りから毎日風当たりがきつい中、仕事は仕事だと割り切って過ごしていた一週間。同期が応援してくれてそばで支えてくれるからまだ頑張れた一週間。何度も言うが同期って本当にありがたい存在だと思った。
 風当たりの強い日々は一カ月続き、同期の応援もありやってこれたのだったのが、ある日をきっかけに初めて「辞めたい」と思うようになった。
同期はこの一カ月間私を支えながら、調べていたのだった。
 本当に私が言ったのか?誰が周りに流したのか?
犯人がわかるまで同期は私にはそんな素振りも見せずに、日々応援と私は支えてくえてたのであった。
同期に呼ばれ会議室に行くとそこには、たった一回愚痴を言った彼女とその愚痴の相手の上司、同期がいたのである。
「私はここ一カ月調べました。裏も取りました。これが証拠の品です。○○さんがみんなの悪口や文句を言ったのは嘘です。」
と言い切り録音された音源を机の上に叩きつけたのである。その内容は彼女と同期の仲良い会話であった。
私は無視されてる間に同期は彼女に近づいてたのである、そして仲良くなったときに彼女にはかせたのである。
「私、○○さん嫌いなんです、私よりおばさんですけど綺麗ですし、お子さんいらっしゃって母子家庭で頑張ってます。的な態度がすっごいうざいんですよね。
 なんていうか上司に叱られてるのもいい気味だと思ってるんですよね。嫌いすぎて顔見るのもキモイんですよね。」
ぞっとした。私が嫌われていて、ここでも理不尽な理由で嫌いになられていることに・・・・。
「証拠があります、上司どのように考えてますか?」
証拠を突きつけて上司の答えを待った私達だったがこんな答えが返ってくるだなんて思ってもなかったのである。
「僕は何もいいません。聞いてません。○○さんが嫌われるからいけないんですよね。ったく人事もどうなってるんだか○○さんなんて採用するからいけないんだ」
私達は答えを聞きここが繋がってることに初めて気づいたのである。
そもそも最初から理不尽なことで叱られていたことも彼女は仕組んでた事で、上司は彼女の手の中にいたということを。。。。
返す言葉もなく愕然としていた私達をしり目に上司と彼女は笑いながら会議室を出て行ったのである。
その日は私もどうやって家に帰ったか、あれから同期と何を話ししたのか覚えていないほどのショックだった。
それから私は毎日仕事を辞めたい、ここから抜け出したいそんな一身で毎日を過ごすのであった・・・。
女の嫉妬とは怖いと初めて知った体験でした。

上司に恐怖を感じた日

私の仕事は、電話営業でした。
その時にはたくさんの方に電話を掛けて、商品を売るのが仕事でした。
一人一人にノルマがあって、それを達成出来ないと帰れない。そういう暗黙のルールがありました。
私が仕事を始めて、ノルマ達成に毎日苦労してましたが
なんとか達成しておりました。
ですがある日、わたしはノルマを達成出来ずにいました。
まだ新人だった私は、謝れば許してもらえるだろうと。
もしくは残って頑張れば問題ないだろうと、甘い考えでいたのです。
いきなり上司に呼び出され、何だろうと思ったら
いきなり目の前の机の上にあった電話機が飛んできました。
私はびっくりしまししが、運動神経だけはあったので
何とか当たらず避ける事が出来ました。
ですが、いきなりの事に動揺が隠せませんでした。
そして、「お前やる気あるのか?」と聞かれました。
私は何も言えず、固まってしまいました。
なんて言ったら良いんだろう。何が正しいのだろうと
正解を探してましたが、混乱してなかなか答えが見つかりませんでした。
そして、どうしようと固まっていた次の瞬間。「やる気がないなら帰れ」と
言われました。
この場から立ち去って良いんだ、そう思いました。
そして私はこの場を立ち去りました。
他の先輩方から、携帯に連絡が入り、大丈夫か?と
心配してくれましたが、私は大丈夫としか返事出来ませんでした。
その後に、上司から悪かったと連絡が来ました。
ですが恐怖で連絡を取る事も出来ずにいました。
このまま仕事を辞めたい、もしくはあの部署から異動したいと思ってしまいました。
次の日、私は会社を休みました。
怖くて怖くて、たまらなかったのです。
そうしているうちに、3日立て続けに休んでしまいました。
その後、管理職の方から連絡が入りました。
どうしたの?と言われ、最初は何も言えずにいました。
ですが、とても優しい方で、
「あなたを助けてあげたいから。悩みがあるなら言って。」と言ってくれたのです。
それに私はすごく安心して、涙が止まらなくなりました。
その後、私は怖かった出来事を話しました。
聞いた方は、まさかうちの上司がそんな人だとは思ってなかったのか、とてもびっくりしていました。
ですか、私の気持ちを察してくれて、異動を進めてくれました。そして、私もその上司と関わることはない職場で再スタートをさせてもらいました。
噂では、元上司は他の方にも同じような、暴力的な行動が散見されたらしく、会社を辞めた様です。
ストレス社会と言われるこの世界で、誰もがイライラが溜まっているのだとは思います。
もちろん、怒りたくなる時だってあるのも、仕方ないとは思います。
ですが、叱り方を間違えては欲しくないなと感じた瞬間でした。