上司の付き合いに疲れました

私は、証券会社の営業をしていました。地方の支店だったため、営業職の中にも全国転勤を伴う社員と伴わない社員がいました。
前者は、出世を狙う男性社員がほとんどで、2年から3年おきに転勤があります。つまり、上司がたびたび変わるわけです。
私が結婚した年に転勤で来た上司・係長が最悪でした。それまでにも上司は何度か変わりましたが。
新しく来た係長は、単身赴任のため、借り上げ社宅に一人住まい。寂しいからでしょう、毎晩のように部下に「飲みに行こう」「飯食いに行こう」と誘ってきます。
最初は、歓迎の意味と見知らぬ地でお店も分からないだろうと、部署のみんなで付き合っていましたが、それが毎日のように誘われるようになり、みんな嫌気がさし始めました。
いつの間にか仕事に行くことよりも、仕事後の上司の付き合いの方が苦痛になり、仕事が終わる時間が近づくにつれ、気分がブルーになっていきます。
係長が出張や研修の日がどれほど嬉しかったことか。しかしながら、そんな日はほとんどなく、毎日断る理由を作るのに必死でした。仲良しの同僚とロッカーで断る理由を話し合ったこともありました。
係長も私たちが、”いやいやながら付き合っている”ということに勘付き始めたのか、「今日の反省会をするぞ」「来月の目標を考えるぞ」などと仕事の延長であるかのようなことを言って誘ってきます。
食事の場で、仕事の話をすることもありましたが、ほとんどは上司の自慢話と私たちを馬鹿にしたような話ばかり。
私が、「新婚なので早く帰らせて下さい。」と言うと、「お前みたいなうるさい女房がいない方が、夫は幸せに決まっている」とか、まだ結婚していない私の同僚には、「性格が悪いから」や「仕事もできないのに、男もできないのか」などと言ってきます。
とにかく性格も口も悪い係長でした。
係長を褒めてご機嫌をとり、ただ疲れるだけの食事会。まるでキャバクラで働いているかのようでした。お金をもらってでも、この係長の相手はしたくなかったですが。
新婚の私の頭の中には、仕事が終わったらすぐに帰宅して、手料理を作り、夫の帰りを待つという理想がありました。
もちろんそれが叶えられないどころか、いくら上司の付き合いといっても、飲んで夜遅くに帰宅する妻を喜ぶ夫なんていません。喧嘩になる日もありました。
「このままでは、だめだ」「この係長のせいで新婚生活をめちゃくちゃにしたくない」と思い、仕事を辞める覚悟をしました。
係長に直接「あなたのせいで辞めます」とは言えませんでしたが、支店長や本社の人事には、理由を話しました。
私は、結婚をしていて、夫の稼ぎで食べていけるので辞めるという選択をすることができましたが、あの係長に苦しむ同僚のためには何か行動を起こそうと決めていました。
私が辞めた後の人事異動で、その係長は、異動になったそうです。辞めたことに悔いはないと問われると、全くないわけでもないが、すっきりしました。

私はロボットでなく、人間です。

清掃会社のアルバイトに応募して、採用された話をします。
私は幼少期から環境美化や掃除が好きだったからスキルアップも含めて清掃会社でお仕事に期待をもっていました。
初日から専門的な洗剤の話に始まり、慣れない作業にもたもたしていたら「一回で覚えてよ。私たちより若いんだから」と言われました。
清掃する順序、場所、時間、休憩場所と覚えることが一杯あり頭がパンパンな中、手足を動かして掃除もしなきゃならない、周りの人に配慮して掃除もしなきゃならない
頭だけでなく体も動かしながらパンパンになった体で初日は終了しました。
二日目私を雇ってくれた面接の上司から「研修期間だから掲載より50円安くします。そして交通手当は出しません」と通達を受けました。
頭や体がパンパンになるだけでなく、心まで圧迫されて、さらに金銭的な負担も大きくなった二日目でした。
何のために仕事しているんだろうか私は。と頭のどこかでぼんやりとこの清掃会社に対しての感謝の念を忘れないように美点を見つけようとしました。
しかし、初日からずっと作業をしてもダメな個所ばかり指摘されて、やり直しの繰り返し。
やり直してもダメ出しばかりでどんどん私の中で精神的な負担が増えて、フラストレーションが高まり、会社に対して感謝の念は薄れていくだけでした。
できないと思っていても仕事中は教えを求めて、指導を受けてもダメ出しばかりの毎日が重なりました。
少しづつ私はこの清掃会社のお荷物でしかないと自分を位置づけるようになりました。そうすることで会社を辞める後押しになるからです。
一生懸命愚痴も弱音も会社では言わずに、吐かずにお仕事終わるまで「注意や指摘をされて、言われることが花。言われなくなったらもう辞めよう」と心に決めました。
 そんな日々が過ぎていく中、しびれを切らした先輩が私の体型についての指摘や生活のことの説教をするようになりました。
「初めてのお給料は叱られ賃」と考えて、両親からも教えられてきた私ですが、体型や生活のことを中傷されてまでお仕事するのは違うと強く思いました。
会社を紹介したハローワークに行き、相談に乗ってもらった上でなるべく穏便に、でも迅速に退職することができるならそれに越したことはないと私は頭を整理しました。
整理した頭と意識を維持を心がけて採用してくれた面接の上司に電話で「肉体的、精神的にきついので辞めさせてください」とお願いしました。
 いきなり会社の体制や人事や環境を批判しても何も解決にならない。お願いという形で依頼して、根掘り葉掘り会社を辞める理由を聞かれるようなら、批判じゃなく
クレームを伝えようと考えていました。
 面接の上司は特に引き留めるような言動もなく、退職の手続きや制服の返却の方法を指示しました。私はこの清掃会社にとってはネジでもない無力な存在だったのかもしれないです。しかし、清掃を必要とする会社はまだ世界にたくさんあるのでゆっくりスキルアップだけでなく、私に合う会社に転職しようと強く思った体験です。

会社を辞めたい!がなかなか辞められなかった11年間。

何年も前になりますが、短大卒業後、大企業の子会社へ就職しました。
事務所にはあまり広くないフロアに約60?70人の社員が机を並べて
仕事をしており、忙しい時はかなり賑わっており活気がありました。
そんな会社に同期として入社したのは当時女性が6人、その後数年の間に二人退社し、
残ったのは4人になりました。
入社後の辛い時期をお互い励ましい、戦ってきた同じ年齢の4人は
団結しており他の社員からも、仲良し同期として見られていました。
よく4人で食事に行ったり、休日遊んだり、さらには旅行にも出かけていました。
ですが入社6年くらいした時、徐々に歯車が狂い始めました。
私が一番仲が良く、気を許してなんでも話していた仲良し同期の一人が
私が信頼して話していたことを、違う課の若い男性社員にペラペラと
話していたのです。其の事を私が知ったのは、自分の後輩から
私が会社に内緒にしていた事を言われたからです。
そこで後輩に誰から聞いたか教えてもらい、元は自分の仲良し同期だと確信しました。
普段は争いが嫌いな性格のため、怒ることもなく小心者の私ですが、その時ばかりは
裏切られたと思い、同期に秘密を流したかどうか聞いたところ、流した、と言われました。
ですが、彼女は軽々と秘密を他の社員に話したことは悪かった、と謝罪してきました。
普段気の強い彼女が謝ってくれたので、気持ちは落ち着きました。
ですがそれ以降、自分が疑問に思うようなことが多くありました。
彼女は自分より出来の悪い人間を落として自分をあげる言動が目立つなと長年付き合ううちに
見えてきてしまったのです。私は彼女よりあまりシャープではなく行動的ではなかったのですが
真逆の彼女とは気が合っていました。が、彼女は私の弱点を人前で攻撃し恥をかかせるような言動が
多くなってきました。最初のうちは自分が鈍臭いから。。と自分を責めて彼女と付き合っていましたが
辛くなってきて距離を置くようにしました。
その後は同じ課で働いていた他の同期と私、そして以前仲の良かった同期ともう一人の同期で
2対2で離れて行動するようになりました。
お互いに考え方が似ており、お互いに他の同期の嫌な面が共通して見えてきたことで
そんな気持ちで仲良いフリをするならばもう離れようと思い立ったからです。
お互いがそんな空気を読み取り、全く話さないようになりました。
そんな状態が3年ほど続いた頃、私は異動になり違う課に移りました。少なからず
あまり話したくない同期との関わりがある課になり憂鬱でしたが、でも仕事は仕事、割り切って
毎日必死に頑張りました。ですが結婚を考え始めていたことと母親の介護が必要になったことで
退社を決めました。一緒に行動していた同期も既に退社を考え始めており二人で最後まではげましあいました。
ですが不思議と他の別行動していた同期2人もほぼ同時期に退社していきました。
全く相談していたわけではないのに同時期に退社することは正直気持ちが悪かったです。
退社後は他の二人ともあっていません。ただ以前信頼し仲の良かった同期が退社する日、私に
半泣きで’色々とごめん”と言ってきた時は正直どうしていいかわかりませんでした。
今でも11年間の事は思い出しますが、社会で働きお金をもらうことの厳しさを
頭に叩き込まれる経験でした。

上司が大きなセール前日に・・・・

私は20代のときに販売業にいました。入社一年半で初めて転勤を経験しました。その転勤先の上司の話です。彼はアルバイトから社員になった苦労した人でした。私は大卒で普通に入社、上司は私よりひとつ年上でしたが、バイトから社員になったので経験は明らかに私より上です。上司として物腰も柔らかだし、話しやすく質問しやすかったので嫌いではありませんでした。その当時、私の会社は倒産危険会社でした。売り上げを毎回求められていました。近くにはライバルだらけでセールだけでは売り上げは難しい状態でした。しかし、売り上げがほしい本部はどうにかしてセールをアピールしてお客様に来てもらえるようにDMなどうっていました。セールは忙しいです。少ない社員とバイトでまわします。前日から売り場変更があり、深夜になることもあります。もちろん、セール当日はお客様接客に忙しいです。しかし、入社一年半の私がそのセールを経験したのは3回でした。やり方も上司の売り場を再現しますが、チェックを上司がして本番に備えます。
そんなとき、若い上司と初めてのセールがありました。お店が変わるとやり方も違います。セールの準備にドキドキしていました。ところがですよ。上司は一週間前にとんでもないことを言って来ました。それは、自分は転職したいとのことです。それだけならまだいいです。私たちは若いのだから選択の自由が効くうちに転職した同僚はたくさんいたからなんとも思いませんでした。問題はそのあとです。面接がセール前日だから休むからがんばってくれとのことです。びっくりしました。ただえさえ心配性で自信のない私にセールの準備を指揮しろとのことです。計画を立てたのは上司です。どんなイメージの売り場か教えてもらいましたが、難しいです。
結局私はかなり時間がかかりました。売り場の手順がわからないからです。
セールは無事に終わりましたが、上司は面接終わってから来れたはずなのに・・・私は忠実に上司が面接で休んだことは誰にも話しませんでした。
今思えば、ばらせばよかったです。上司は、課長や部長にかわいがられていたから、平気でセールを休むなんて、いってやればよかったと後悔しています。
私が仕事を辞めたの理由ではありませんが理不尽でなりませんでした。私が会社を去るとき嫌われていたので部長など挨拶にも来てくれませんでしたが、彼のときは残念がっていました。本当に見る目がない会社です。退職してよかったと今は思います。これもいい経験ですね。今は、営業をしています。やりがいがあってたのしいです。あのころがあったから営業を目指すきっかけになりました。ありがたいことだったのかは複雑です。

仕事を辞めたいと思ったら、すべてが辞めたい原因に思えてきました。

仕事をしていると、いろいろなことがイヤになる時があると思います。
私も今までにいろいろな仕事に就いてきましたが、もちろんその中に仕事がイヤで辞めた仕事もあります。
仕事がイヤで辞めたことも、会社がイヤで辞めたことも両方あります。
仕事がイヤだと、結果的に会社がイヤになって辞めることになるのですが。
私が1番イヤだったのは、家族経営での会社に勤務していた時です。
家族経営ということもあり、他の従業員はまるで使い捨てでした。なんというか、家族の絆が深すぎて、もはやそれは仕事としてというより、そして会社としてというよりは、家族を守るためだけの経営だったと思います。
よくドラマなどである家族経営の会社やお店で、従業員をまるで家族のように扱うというタイプの会社ではありませんでした。
事あるごとに従業員に対して、自分の家族と比べたり、思うようにいかないと暴言を吐いたり。
そんなこんなが続いた時に、仕事仲間が1人辞め、2人辞めしたときに、自分もその仕事や会社を辞めたくなりました。
1度辞めたくなると、すべてがイヤになりすべてが辞める理由につながってくるのが不思議で、今までは苦ではなかった業務であってもそれすらも苦痛に感じてきました。
家族経営の会社で勤務することの難しさに加え、仕事の内容やお客様や取引先に対しても嫌気がさしてきてしまったのです。
その会社が婚礼関係ということもあり、お祝い事のお手伝いをする仕事なのに、私の心の中は本当に醜い状態になっていました。
そんな自分にも嫌気がさしてきて、このままでは私自身がダメになると思うと無性に辞めたくて辞めたくて。
すべてが辞めたいモードに切り替わっていきました。
その時には諸事情ですぐには辞めることができずにストレスばかりたまり、このままでは体にまで変調が出てきてしまうと思い、その会社の良いところや仕事のやりがいを見つけようと思うのですが、それすらも思い浮かばない回路になってしまったのです。
おそらく冷静に考えれば、良いところも やりがいも見つかると思うのですが、そういう精神的な余裕すらなくなった時に一刻も早く辞めたかったです。
最初は小さなことで辞めたかったのに、それがだんだん膨らんできて、すべてがイヤになってきてしまいました。
終いには勤務開始時間にまで嫌気がさすことに(笑)
きっと私以外の辞めていった他の従業員の方々もそうだったのだろうなぁと思います。
ストレス発散でどうにかならなくなったら、やっぱり辞め時なのかもしれないです。
私の場合、結果的にすべてのことにストレスを感じて辞めたいと思ったのかも知れません。
なにが原因で辞めたの?と聞かれたら、それがすべての答えになります。

ひどい会社は続ける意味なし

日本には勤労、納税、教育という国民の三大義務がありまして、生活費もそうですが、納税という生きているだけでお金を払わなくては犯罪になってしまう義務があるものですから勤労に勤しむのはしょうがないということです。義務ですから。とはいえ、所謂ブラック企業で働くのは自分自身のあらゆるものを失うだけで、義務とはいえ選択すべきではないと思います。なぜそう思うかというと、実際にそうだったからです。そんなときは転職を視野に入れる必要があります。命より重要な仕事はないのです。
実際の私の経験とすれば、
1.仕事内容が合わない。
とある板金工場に勤めることとなったのですが、早朝から深夜までひたすら部品を作り続ける日々で手先の細かい作業が必要となる他、溶接の技術も身に着けて社内の試験に受からなければ退職という、考えてみればその時点でひどいなという感じでした。私も頑張って仕事をしますが、困ったことにプラモデルを上手いこと組み立てられない程の不器用さを持っている為、上手く行かない日々を送り、疲労が溜まり、1日1日が非常に長く感じられ、帰り道で死のうかと思うようになり、結局試験に受からず、限界を感じて退職しました。死んだら仕事に行かなくていいんじゃないかと考える辺りでもう危ないですね。
2.給料がやたら低い。
今の仕事もそれほど給料が高いというわけではないですが、とある病院の事務に勤めた時の給料が手取り12万程でした。折角見つかった仕事だし、楽しかったので長いこと勤めましたが、車が必須の地域で車を持たず、休日は家でゴロゴロするか近くのスーパーに買い物に行くという程度でとてもつまらない人間だったと思います。どこそこに行ったというような話にもついていけないため、車を思い切って購入した後に彼女が出来たとき、流石にこの給料じゃまずいと感じ、転職をしました。
3.やたらノルマがきつく、ノリが合わない。
しばらく職業訓練でお世話になった後で探した仕事は携帯ショップでした。携帯ショップに行って携帯の機種変更などを相談した時の対応があまりにひどいので、その程度なら自分のほうがうまく出来るんじゃないかと思い、始めてみたものの、よくその仕事について調査しなかったのが良くなかったのでしょう。まず、携帯キャリアが3社の内、非常に評判の悪いところを選んでしまったという失敗がありまして、とにかくクレームが多く、客層も悪い。次にノルマがとてもきつい。新規、もしくは乗り換えのみが評価されるため、先ほどのクレーム処理やそれ以外の契約変更などの受付は無いも同然の扱いなのでやってもやっても説教という苦しみがあります。なお、手続きしたらアンケートが送られてくるのですが、高評価を必ず貰わないと店の評価がひどいことになるので気が抜けません。そして、体育会系のノリ。業務メールも業務とは思えないようなひどいメールが何通も何通も送られてきたり、休みの日でも電話がよく鳴り、彼女には帰りが遅いとか、休みの日でも電話が鳴ることに対して非常に怒りますし、いくらやっても誰も幸せにならない現状が辛いのです。そして、あまり詳しくは書きませんが、キャリアぐるみでほぼ詐欺のような言い回しで契約を取るので良心も痛みました。これらに疲労して退職した後、なんと1か月も動けませんでした。おそらくうつが入っていたのでしょうか。
という感じで仕事を辞める理由も様々ですが、過去の経験から探すべき仕事というのは。
1.仕事内容をよく調べて、自分の出来るものを選ぶ。
2.給料が低いとあらゆる面で不利で苦しいため、高いものを選ぶ。
3.休みなどに影響するため、人の多いところを選ぶ。
しくじり先生みたいにはいかないですが、どうせなら1回もしくじりたくはないですね。

お給料がとにかく低い

私が会社を辞めよう、と本気で思ったのは、お給料が手取りで14万円をきったときです。
大学も卒業しており、もちろん遅刻や早退もなく、献身的に働いているのに、アルバイトみたいなお給料に、心底あきれました。
当時、社会人2年目でした。同期と比べても仕事はかなりできる方で、内定者時代からアルバイトもさせてもらっていたので、経験や知識は少し他の人よりもありました。会社も経験や要領の良さをかってくれ、いろいろな人手が足りない部署に異動させるなど、頼りにされているのは伝わっていました。
色々な部署を転々とした挙句、今まで存在しなかった事務の仕事を集約させる、ということで、2つの部署の事務仕事をそれぞれの課長から引継ぎました。
その結果、課長は新しい営業や現場の業務改善に取り掛かる時間が増え、今まで社内申請等の期限が守れていなかった部分も守れるようになりました。
現場の方たちの事務仕事も巻き取りました。結果、今までひと月で100時間以上残業していた現場が、36協定を守って早い時間に帰れるようになりました。
私も、たまに残業が長いこともありますが、基本的に定時の時間内に上がれるよう時間を調整しながら仕事を終えています。
にもかかわらず、13万円台って何事。と思いました。
私の会社は、基本給が24,000円です。そのほかに貢献給や業績給を足してやっと10万円くらい。そのほかの給料は残業代でできています。
つまり、どんなに仕事が早くても、残業しないとお給料がもらえないのです。なので、仕事が出来ないから遅い時間まで残っている社員の方がお給料が良いんです。長く働いている方が偉い、そういうように評価されているようにしか思えませんでした。
本当にやめてやろう、そう思いました。
ほかの会社で同じ内容量で働いて提示でかえって、基本給が21万円の会社にいって2か月分のボーナス貰った方がよっぽどいい、と思いました。
ボーナスも雀の涙です。
2万円くらいでした。一けた見間違えているのかと思いました。
決算賞与もその年によって出るときと出ないときがありました。出たとしても3万円くらいです。
家族サービスもなんも出来ないですよ。
しかも、長く続けていればお給料が上がる、というわけでもないんです。
続けていても1年で500円上がるだけです。
管理職になると、年俸制になるのでお給料は多少良くなりますが、休みはほぼ無し。
夜の23時からミーティングなど、お給料を上げるためだけには代償が大きすぎるんです。
しかし、まだこの会社を続けているのは、単純に人が良いからです。
こんなお給料じゃほんとにやっていけない、生きる気力を失う、辞めようと思う、と上司に正直に話したところ、なんとかしてお給料をあげよう。と現在も取り組んでくれていますし、実際に微々たるものですがお給料は上がりつつあります。
結構、言ったもん勝ちだなと思う点もあり、自分でできる仕事も増やして、お給料を上げてもらおうと思っているところです。

毎日、平均5時間の残業で、ストレスフルに、仕事を辞めたいと毎日思っていました。

私は、8年前まで、17年間、市役所に勤務していました。 一応、地方公務員になるので、 仕事はそんなにハードなものではないと思っている人もいらっしゃるかと思いますが、そんなことはありませんでした。配属された部署によって、仕事の内容が大きく異なり、楽な部署もありましたが、仕事がとてもハードな部署もありました。
市役所の仕事始めてから8年目、30歳の時、私は市民課という部署に配属になりました。そこの庶務係という所に、外国人登録事務の仕事がありました。
外国人登録事務の具体的な仕事は、外国人登録済証明書という免許証のような写真入りのカードを発行して、交付することと、外国人登録済証明書と呼ばれる住民票のようなものを発行するのが主な仕事でした。その仕事は、 具体的には、パソコンのデータ入力作業でした。
外国人登録に関することのすべてを、1人で担当していましたので、仕事量がかなり多く、毎日、同僚たちが帰ってから、事務所に1人残り、5時間から6時間残業する日々が続きました。
私は、当初、外国人登録事務は、英語を活かせる仕事、英語を使って外国人の方とコミュニケーションをすることができる夢のある仕事だと思っていましたが、それは大きな勘違いで、実際には、毎日、パソコンに向かい、十何時間も、入力業務を行うのが主な仕事でした。
毎日の残業がたたり、私はストレスで、胃の調子を悪くしてしまいました。
それでも、その時の直属の上司である係長や、周りの同僚達は、私の仕事を手伝ってはくれませんでした。
おまけに、係長は、私の仕事に全く理解を示してもくれなかったのです。 私が自分の仕事について、説明を求められ、一生懸命説明しても、係長は、「あんたの言うことよくわからんのんだ」と言うだけでした。
入力作業で、同じことを2度入力するなど、効率の悪い作業が多くあったので、「それについて、改善してほしい」と係長にお願いしても、私の仕事に理解のない係長は、私の話をよく聞こうともせず、「ただ、予算の関係で、できないんだ」と言うだけでした。
「それなら少しぐらい、係長が、私の仕事を手伝ってくれてもいいのに」と私はいつもそう思っていましたが、 私の仕事を、係長が手伝ってくれたことは、一度もなく、私が残業しているのを横目に、「早く帰れよ」と言い残して、先に帰ってしまっていました。私は、それを言われるたびに、「早く帰れるもんなら私も早く帰りたいよ」と心の中で、思う毎日でした。
毎日の残業と、上司の理解のなさに、ストレスが溜まり、 私はついに体調を崩してしまいました。
その時、私は、本当に心から仕事を辞めたいと思いました。
結局、1年で、私はその部署から異動になり、ストレスから解放されたので、仕事を辞めませんでしたけど、あんな状況が長く続いていたら、間違いなく、私は仕事を辞めていたと思います。